美容整形と幸せ(元看護師・現役風俗嬢 Yuzuka)

皆様初めまして。Yuzukaと申します。
今回より恋学様で、新連載を持たせて頂くことになりました。

さて、いきなり「yuzukaです」なんて名乗られたところで、「一体誰やねん」という方が大半だと思いますので、初めて記事を書く今回は、自己紹介と、この連載の趣旨について、少し説明させていただこうと思います。

私は元精神科、美容外科のナースであり、現役の風俗嬢です。
看護師が風俗嬢として働いているというのは、実はこの業界の中で、大して珍しい話ではないのですが、ネットの世界ではどうやら少し特殊にうつるらしく、今や始めて2年たったツイッターのフォロワー数は、3万人を超えてしまいました。

看護師と風俗嬢という、ある意味対極の立場にある仕事をして行く中で、私は様々な世の中の不条理を目にすることになります。
それは男女間の話であったり、はたまた人生とは、という、哲学的な部分であったりしました。

普段はこの「男女間」についてにスポットを当てた書き物をすることが多いのですが、恋学様では他とは少し違う「ライフスタイル」という大きなくくりで、物事を掘り下げていこうと思います。
そして今回は、その「ライフ」即ち「人生」の中で最も不条理であり、女の子を苦しめ、そしてその反対に幸せにもしうる、「容姿」について、「美容外科」での経験を軸に、語っていきます。

「可愛くなる」ということに向き合いたい方、「美容整形」に興味がある方。ただ単にオススメの施術を語る記事は、検索ワードを打ち込めば、山ほど出て来てしまうのが、今の時代です。そんな中でこの連載では、私が目にして来た「現実」を、ここでしか聞けないお話として、少しだけお見せできたら良いなと考えています。

さて、前置きが長くなりましたが、今回はその「美容整形」についての根本的な部分、「結局、整形で幸せになれるの?」という点についてを、yuzuka目線で考えてみたいと思います。どうぞ、お付き合いくださいませ。

可愛くなれば、幸せになれるの?

世の中には、ふたつの種類の女の子が存在する。「可愛い」女の子と、「可愛くない」女の子である。なんということだろう。
この振り分けは、生まれた瞬間、無条件に決定されてしまう。オギャーと生まれたその時、いや、母親のお腹に宿った瞬間から、私たちの容姿は、勝手に決められてしまう。

「美」というのは、お腹の中でどれだけぶつからずに姿勢を保ったとか、生まれる前の試験で良い成績を取ったとか、そういう「努力の賜物」から与えられるものではなく、偶然、たまたまあてがわれるものなのである。

「可愛い」か「可愛くない」か。そこで決められたこの要素は、勝手に押し付けられた条件にもかかわらず、その後の人生に、大きく大きく関わってくる。いや、関わるどころではない。勝手に決められたとは思えないほど、「モロ」に、その後の人生を左右する。

「可愛い」というだけで、褒められる。保育園で抱っこの回数が多いのも、おもちゃの順番が回ってくるのが早いのも。
学生時代、テストの過去問が回ってくるのが早いのも、だいたいが「可愛い女の子」だ。
「可愛くない女の子」は、いつのまにか自分の立場に気付きはじめる。
社会に出て、「どうやら容姿ってやつが、権限と差別を生み出しているらしい」と、勘づくのだ。

そこで生き方を身につけ、「引き立て役」ってのに徹しない限り、「可愛くない」というだけで、バッシングを受けることにもなりかねないから、死活問題だ。

私が美容外科で働き始めてから、この「可愛い」の呪縛に悩まされる女の子たちに、数多く出会ってきた。強迫観念に近いその感情は、女の子のコンプレックスとして心に住み着き、苦しめ、その結果として「美容外科」への扉を叩く、後押しをする。

可愛くなれば、幸せになれるのか。
それは永遠のテーマであり、疑問ではなかろうか。整形さえすれば幸せになれるのか。容姿を取り替えて、誰もが認める「美」を手に入れば幸せになれるのか。答えは「NO」である。

可愛いって、なに?

そもそも、「可愛い」って、なんなんだろう。
美容整形において、教科書的にいうのであれば、それは「顔面」という土台の上に配置されている各パーツ達が、どれだけ「黄金比」に近い形で散りばめられているかというので、決まってくる。黄金比というのは、顔全体のバランスがいかに均一に近い形で整備されているかというのを調べるための基準みたいなものだ。この「黄金比」に近ければ近いほど、いわゆる「万人受け」する容姿だということになる。

では、「黄金比」に沿っていなければ、必ず醜いのかと言えば、そうではない。実は、流行する芸能人なんかは、この「黄金比」から大きく逸脱しているケースが多いのである。

全体のバランスに合っていれば、逸脱したパーツは、「個性」や「魅力」になりうる。「可愛い」というのは、人によって感じ方が違う、なんとも曖昧なものなのである。よって、「ここをこう整形したら全員が可愛くなれるよ」という決まりというものは存在しないし、それぞれが目指すべき「可愛さ」ってのも、必ずしも同じではないといえる。

しかし、そんな「曖昧」で決まりのない可愛さを作り出す美容整形において、誰に施術する時も、「だいたいの人は同じところに同じことを施せば、可愛くみえる」と、おぼろげであるが、決まっているものもある。

それは、ボトックスやヒアルロン酸の注入というような、いわゆる「プチ整形」と呼ばれるもので、これらを打つ箇所ってのは、どこのクリニックも、だいたい似通った場所になっている。ボトックスは眉間やおでこに打ってシワをなくすし、ヒアルロン酸は、涙袋をふくらましたり、頰を高くする。これらの施術は、だいたい誰に施術する時も同じ箇所、同じ薬剤で、それによって「可愛いに近づく」ってのが、相場として決まっているのである。

一体なぜかなのか。そもそもこれらの施術は、「人が笑顔になった時」に近づけるためのものなのだ。笑った時に使う筋肉、即ち「幸せに笑顔で過ごしていれば発達して盛り上がる」場所をヒアルロン酸でふくらまし、怒っている時や泣いている時に深く刻まれる「シワ」を、ボトックスで消し去る。笑顔は最高のアクセサリーなんて言葉はよく聞くが、綺麗事に聞こえていながら、的を得ているわけである。

人のための整形では、幸せになれない

美容整形をすれば、綺麗にさえなれば……。そう願わずにはいられない醜い世界。しかし、誰かに認められようと「整形」を繰り返しても、だいたいの場合、人は幸せにはなれない。それは前述したように、そもそも「可愛い」の定義は人によって違うし、どれだけ「一般的」に綺麗になったところで、認めてくれない人は、必ず存在するのだ。
幸せを求めて美を追求することは勿論間違いではないが、それと幸せは、イコールにならないのである。

私は、美容整形について、肯定的な意見を持っている。しかし、美容整形にはリスクが伴う。痛みが伴う。覚悟が伴う。それだけの一歩を踏み出すのだから、人の決めた「よくわからない可愛さ」の定義になんてとらわれず、是非、自分のための「可愛い」を、目指して欲しい。

前向きな自分磨きは、人を綺麗にする。皮肉なことに、「綺麗になって幸せになる」ことよりも「幸せになって綺麗になる」ことの方が、手段としては、確かなのである。

ヒアルロン酸を打つよりも、笑顔を増やす。
綺麗を目指すために美容整形よりも先に、自分にとっての「幸せ」のありかたを、考える必要がありそうだ。

と、初回の配信では根本的な部分について取り上げて見たものの、少し堅苦しくて読みにくいのでは……と、不安を募らせています。口調や内容について、いろんな意見を取り入れながら、皆さんとともにこの連載を作り上げていきたいと考えているので、ご意見があれば是非、およせください。

 

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Written by yuzuka