【第9回】浮気や不倫、二股でもない“オープンな複数恋愛”をする「ポリアモリー」の私について(きのコ)

こんにちは、きのコです。

今回は、ポリアモリーについて非当事者の方が書いたブログ記事をご紹介したいと思います。決して感情的な全否定ではなく、丁寧に考察された批判です。

非当事者Aさんによる考察

最初にご紹介する考察は、Aさんによるもの。

ポリアモリーは「気持ち悪い」と思う、と言うAさん。どこが「気持ち悪い」のかについては、「『良心』の欠如」と「子ども」の問題が挙げられています。

「男女平等や個人間の権力関係の消滅が実現できていると言えない社会で、『良心』にだけよって複数の異性と性愛関係を持つのは危険」「『良心』を前提にした関係だということは、関係構築に考えられうる『良心』を欠いた人が入り込めば容易に崩壊する」とAさんは言います。

これはまさにその通りです。ポリアモリーの概念を利用して他人を傷つける人が関係者にいたり、関係者全員が対等でなく依存や不平等があったりする場合には、ポリアモリーが健全なかたちで維持できるとは思えません。

そしてこれはポリアモリーという関係性それ自体の問題ではなく、「不平等な関係を築く」ということが問題なのです。

そもそも、いったい私たちは「良心」以外の何によって関係性を築くべきなのでしょうか?

逆に、文化的な規範や法的な制度によった関係こそ、良心が欠如した時に悲惨なものになるのではないか、と私は思います。形骸化した「仮面夫婦」「名ばかり家族」こそ、悲劇を生み出しかねません。

また、子どもの問題についてもAさんは触れています。

ポリアモリー批判について、「子どもができたらどうするの?」「子どもが可哀相じゃない?いじめられたり、差別されるのでは?」という批判はよく耳にします。

たとえば、親が複数のパートナーをもつことで子育てを放棄するような状況は悲惨なものですが、たとえ原因が仕事であっても酒やギャンブルであっても、そのせいで親が子どもをかえりみなくなるのであればその状況は子どもを傷付けます。

つまり、親の数や親のパートナーシップのかたちに関係なく、子どもが親によって傷つけられる状況が悲劇なのです。

非当事者Bさんによる考察

続いてご紹介するのは、Bさんの考察。

Bさんは、ポリアモリーという価値観を知り、衝撃を受けると同時にそういう人たちに同情してしまったそうです。なぜそう思ったのかが、丁寧に綴られています。

Bさんは「ポリアモリーという生き方をする人に聞きたいこともある」と書いておられるので、ここではきのコ個人の意見として、その疑問に応えてみたいと思います。

まず、ポリアモリーな人とモノガミーな人がお付き合いをする時はどうするのか、という疑問。

ポリアモリーとモノガミーのカップルは数多くいますが、付き合い方に唯一の正解はありません。ただし、大切なポイントは「合意を得る」ということです。

自分に都合の良い理屈を押し付けるのも、相手に都合の良い理屈を飲み込むのも、健全な関係性ではないと思います。対等なパートナーとして付き合うのですから、「僕はこうしたいし、こうしたくない。僕はあなたにこうしてほしいし、こうしてほしくない」という考えを関係者全員が話し合い、落としどころを探る。このコミュニケーションはポリアモリーかモノガミーかに関係なく重要です。

二つ目に、結局「恋に恋している」だけなのでは? という疑問。

ポリアモリーにもいろいろな人がいますが、きのコ個人に関しては「気が多い」ということは間違いありませんし、「常にドキドキしていたい」と思っています。友達も趣味も多いし、刺激的なことが大好きです。自分の欲望に忠実に、しかも他人を傷付けずに人生を過ごそうと努めています。

私としては、「恋に恋してもいい。気が多くてもいい。常にドキドキしていたくてもいい。関係する人たち全員の合意がとれていて、他人を傷付けないのであれば、どんな理由でポリアモリーな生き方をしてもいい」と思うのです。

三つ目に、誘惑に負けているだけじゃない? という疑問。

誘惑に負けて自分や他人を傷付けることは不健全ですが、たとえ誘惑に打ち勝ったとしても、自分の欲望を殺して生きることは健全ではありません。

「これをしてしまったら、恋人が悲しむ……」と考えることは有意義なのですが、私はそう唱える人にはいつも「それ、本人に確かめたの?」とツッコミを入れています。

あなたは恋人がどんな時にどう感じるかを、100%理解していると言い切れますか?「恋人が悲しむかも」と配慮することは、ときに、「『あいつはこう思うはずだ』と決め付けている」という傲慢さになりかねないのです。

あなたが理解していると思っているもの、配慮していると思っているものは、本当に「恋人の気持ち」なのでしょうか。恋愛ってそういうものだという世間の「常識」を恋人の気持ちとすり替えていないか、いま一度考えてみてほしいと思います。

最後に、プライドと嫉妬心についての疑問。

「『くそー、相手が増やしたんなら俺も増やすぞ、それでもいいのがポリアモリーだからね!』という気持ちで自分も恋人を増やしたことはないのでしょうか」とBさんは投げかけます。確かに、パートナーに浮気されたから報復のために自分も浮気した、なんて話はよく聞きますよね。

私は、どういう動機でポリアモリーを始めるかも止めるかも個人の自由だけど、「目には目を」的な報復だけを目的に始めるポリアモリーはあまり健全ではない、と思います。

繰り返しますが、関係者全員の合意が得られて、誰も傷つかない限りは、どんな理由でポリアモリーを始めてもいいし、どんなパートナーシップを築いてもいいし、どんな欲望をもってもいいのです。それは、他人が口を出すことではありません。

ポリアモリーな恋愛は、何も聖人君子たちによる高尚で清らかな関係でなければならない、というわけではないのです。もちろん、そこには「良心」が必要だとは思うのですが。

おわりに

今回は、ポリアモリーについての建設的な批判をいくつかご紹介しました。

ポリアモリーについてさまざまな批判を見聞きする中で、気付いたことがあります。

「ポリアモリーを批判しているようでいながら、実はポリアモリーもモノガミーも関係なく当てはまる内容になっている」というものが多いのです。

結論として言えるのは、ポリアモリーが正しいとか、モノガミーが間違っているとかいうことではなく、どんな関係性でも「パートナーや子どもなど、関係者を傷つけるパートナーシップのあり方は健全でない。傷つけないためには、合意を目指してコミュニケーションをとることが重要」ということに尽きるのではないかと思います。

ポリアモリーについて5年以上いろいろな発信をしてきていますが、5年前と比べると、否定するにせよ肯定するにせよ、議論が成熟してきたな……と感じます。

ポリアモリーは人間関係における唯一の正解ではないし、ファッションでもありません。ポリアモリーやモノガミー、どういったライフスタイルで生きるにせよ、「なぜ、それが良いと思うのかor受け入れられないのか」と自分の感覚を掘り下げてみることが、性と愛の多様性に対する理解につながると私は考えています。

 

Written by きのコ