一線を越えないセカンドパートナーの本質について

今回は、結婚生活におけるセカンドパートナーについて、一緒に考えてみたいと思います。

少し前まで、芸能人の不倫報道が過熱気味でしたよね。「一線を越える」という言葉が今年の流行語大賞になるかもしれない、なんて言われたりもしていました。「入れたのか入れなかったのか」と、ハッキリ言えばいいものを「一線は超えていません」なんて濁す……売春を援助交際と言い換えるわたしたち日本人は、「ハメた」とハッキリ言えないのでしょうか? コトの本質を逃がすのが好きなのでしょうか?
一線を越えないセカンドパートナーの本質について

 

セカンドパートナーという言葉の定義

さて、セカンドパートナーという言葉の定義は……明確には定まっていないようで、媒体によって「既婚者どうしのプラトニックな恋人」と書いてあったり、「互いの配偶者が離死別したら一緒になろうと約束している関係」と書かれてあったりします。共通するのは「カラダの関係はない」ということ、つまり「一線は超えない」関係ということのようです。

簡単に言うなら「好きだけどヤラない関係」と定義してもいいのでしょうか。もしこう定義していいのであれば、セカンドパートナーなんて、何人いてもいいわけですよね。「いい」というか、好きになるのは心の自然な動きだから、意思の力だけではつくれないのがセカンドパートナーということ?

もっともっと簡単に言うと「友達以上恋人未満」の相手がセカンドパートナーだということですよね? そういう人って、何人いようと、その人の自由では?
一線を越えないセカンドパートナーの本質について

セカンドパートナーの三原則

最近セカンドパートナーという言葉を知ったので、勉強が足りていない状態でこれを書いています。なので、まちがっていたらすみません、ですが、セカンドパートナーという言葉をことさら強調する人たちって、要するに「ヤッたかヤッてないか」つまり一線を越える関係であるかそうではないか、ということを、ことさら気にしているように感じます。

それが証拠に「セカンドパートナーの三原則」というものがあるそうです。「揉めない、取らない(奪わない)、でも離れない」だそうです。お互いの配偶者と、セカンドパートナーの存在をめぐって揉めてはいけない。お互いに配偶者から相手を奪ってはいけない。でもセカンドパートナーとして離れてはいけない。というような解釈でしょうか。う~ん……言葉にするとなにやらめんどくさい話ですよね。
一線を越えないセカンドパートナーの本質について

セカンドパートナーに恵まれている人は……

草食系男子という言葉も、セカンドパートナーという言葉も、流行語のいくつかは、一発当てたい文筆業の人がつくっているだけだったりします。流行語になるような言葉は、ある意味で時代の真実を突いている素晴らしい言葉ですが、ヒット狙いで言葉をいじった結果、コトの本質がどこかに消えてしまうがあります。それでなくともテレビはおもしろおかしく番組をつくり、コトの本質をどこかにやってしまうのに、それに輪をかけるようにして本質を隠してしまっているのが流行語。つまりセカンドパートナー。
一線を越えないセカンドパートナーの本質について

セックスなんてしたけりゃすればいいし、したくなければしなくていい。配偶者に悪いと思えばしなけりゃいいし、それでもしたければすればいい。ゆえにセカンドパートナーであろうとサードパートナーであろうと、フォースパートナーであろうと、セックス抜きの仲のいい人がほしいのであればつくるといい。いらなければつくらなければいい。

一線を越えない限りにおいてのセカンドパートナーであろうと、不倫であろうと、それらはひとりで静かに考え、実行するべきことであり、他人がとやかく言うことではないというのが、そもそもの本質ではないでしょうか。他人のセカンドパートナーのことをとやかく言っている人って、セカンドパートナーに恵まれないし、セカンドパートナーに恵まれている人は、静かにしたたかに生きていますって。

 

Written by ひとみしょう