「自制心=我慢」ではない! 自制心を鍛える簡単な方法

神様が日本人をドM体質におつくりになったからなのか、とかくわたしたちは、自制といえば、我慢することばかり考えますよね。ダイエット……ほら、我慢でしょ?

「食べたいものを我慢すること=ダイエット」

これがちがうと言う人は、たとえば運動すればいいと言うかもしれませんね。

運動だって、「我慢して」運動しちゃっているんじゃないですか?

頑張る時点で我慢だから

自制心があれば、おそらく豊かに生きていくのに不自由しません。たとえば恋愛で言えば、自制心があれば不倫に陥ることなく、ゆえに悩みも少なく、ご機嫌に暮らせるはずです。

この自制心を鍛える方法として、世間でよく言われるのが「我慢」です。あるいは、結局は我慢しないと成しえないハウツーです。

たとえば「『迷ったときには30分寝かせてみる』という方法で、自制心を鍛えましょう」と言う人がいます。「寝かせる」という言い方をしていますが、結局のところ30分「我慢する」わけですよね。

あるいは、毎日の行動予定を決めると自制心が鍛えられると言う人もいます。たとえば「毎朝、頑張って6時に起きるぞ!」と決めることらしいですが、頑張る時点で我慢ですよね。
「自制心=我慢」ではない! 自制心を鍛える簡単な方法

人が考えていることは今もむかしも同じ

自制心を鍛えるというのを、17世紀の哲学者たちは「理性を鍛える」と言っており、そのためにはどう生きるべきかを、熱心に議論したり本に書いたりしていました。

それらの本の一部は、20世紀初頭まで、大学の授業で使われていました。(たとえば名門オックスフォード大学で、アルノーさんという哲学者が書いた『論理学、別名思考の技法』という本が使われていた)

ざっくり言えば、今の日本においては、理性を鍛えるための学問として哲学があり、真に哲学を「学問」すれば、理性はいとも簡単に鍛えられるはずです。

が、今の日本においては、哲学といえば「なんらかの屁理屈を述べること」くらいにしか思われていないのが、実情ではないかと思います。

が、そう思っている人にとっては、残念なことに(幸運なことに?)哲学書には「実生活において理性を鍛える方法」のようなものもちゃんと書かれています。

17世紀の哲学者というか、そのはるか前から「理性(自制心)がないと、豊かな人生にならない」と考えていた人たちがいたということです。
「自制心=我慢」ではない! 自制心を鍛える簡単な方法

思い込みを捨てることも、理性を鍛えるうえで非常に重要

哲学書が言う理性の鍛え方は、たとえば「意識をする」ということです。

「わたしは今、甘いものを食べたい『と思っている』」とか「わたしは今、二度寝しよう『と思っている』」など『と思っている』こと、これを意識すると、哲学者であるデカルトさんは定義します。

1度だけ『と思っている』わけでなく、日常生活のそこここで、つまり常に『と思っている』こと、意識すること。

これだけでかなり理性(自制心)は鍛えられるそうです。

つまり「『と思っている』ということ(意識すること)とは、自分を客観的に見ることができるようにしましょう」ということです。

自己を客観視するときに、しばしば邪魔になるのが、たとえば自分の思い込みです。

「わたしはどうせダメ人間だから、今日も二度寝してもしかたない」……たとえばこういう思い込みが、自己を主観的にとらえ、客観視するのを妨げます。

思い込みを捨てることも、デカルトさんは理性を鍛えるうえにおいて非常に重要であると説きます。
「自制心=我慢」ではない! 自制心を鍛える簡単な方法

他者とよりよく交わることが、自制心を鍛えることになるのではないか

17世紀の哲学者たちは、理性を鍛えるさまざまな方法を考えてきました。これらの「方法」は、どんな「概念」へと向かっているのか?

ここからは哲学書の「解釈」の問題になってきます。

ぼくは「人を好きになること」に向かっていると感じました。思い込みを捨てて相手を見ること、自己を常に客観視すること。

これらのことは、今のところ人を好きになる、つまり人間愛に向かっているとしか思えないのです。

これがなぜなのかを説明しだすと長くなるのでこのへんでやめておきますが、自制心を鍛えるという行為そのものは、人間愛につながっているのではないか、つまり他者とよりよく交わることが、自制心を鍛えることになるのではないかと思います。

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