【トイアンナ】こんなに女を理由にけなされてきたのに「女でよかった!」 と思うこと

こんにちは、トイアンナです。私は普段あまり性別を意識しないでお仕事をしています。それはあまりに幸福なことでした。

世の中には「女だから」という理由でおとしめられることも、逆に「女の子だから」とちやほやされる場所もたくさんあるわけです。

私は意図的にそういう場所から逃げてきました。自分が獲得したものではないステータスでおとしめられるのも、褒められるのも気持ち悪かったからです。

女だから、というデメリットは勝手に味わってきた

ただ、女性だからとちやほやしてもらえる場所は努力なしに手に入りません。

そもそもが美しく、若い外見を目指さねばならない。料理や裁縫などいわゆる「女らしい」スキルに特化せねばならない。少なくともExcel上手になるよりは、料理上手の方がほめられます。

逆に「女だからけなされる」ことは望まずともありえます。たとえばネットで私を非難する声はコンテンツへの評価より「ブス」「ババア」と女性を汚すものが大半です。

コンテンツに対する賛同をいただけるのが嬉しい反面で、自分で選んだわけでもない性別でずいぶんと腹の立つ思いをさせられてきました

それでも私は、生まれ変わったらまた女になりたいと思います。
こんなに女を理由にけなされてきたのに「女でよかった!」 と思うこと(トイアンナ)

それでも、女でよかったと思える理由

生まれ変わってもまた女でいたい。そのわけは、「少数派へ敏感になれるから」です。私は人の気持ちを察するのがとても苦手なニブチン(鈍い人)で、きっと生まれ変わっても鈍感さは変わらないでしょう。

そんな私が男になったら、きっと女の苦しみなんて絶対に理解できませんでした。対象は女性に限りません。毒親、貧困、性的少数者、障害。ありとあらゆる「世間に戦うことを強制された人」の気持ちなんて、分かろうともできなかったでしょう。
こんなに女を理由にけなされてきたのに「女でよかった!」 と思うこと(トイアンナ)

男だからと、マジョリティ観を背負わされるのも業でしょう

だから、でしょうか。私が無邪気な差別をする男性を責めきれないのは。きっと彼らって、私と同じくらい鈍いんです。彼らも彼らで、男として「無意識にマジョリティとならされ、弱者を頑張らないと理解できない」ハンデがあるように感じます。

女であること、そのせいでおとしめられることが「弱さを理解するための業」だとしたら、男として生きることも「努力せねば弱者を理解できない業」だと思うのです。

だから私は女として対話を諦めないし、女として生きていきたい。私は女として生まれてよかった。それがたとえ、おとしめられてゆがんだ認知の結果だとしても。そんな風に考えています。

 

(あなたはどっち派!?恋学アンケート実施中!!)
(1)あなたは「女でよかった!」と思いますか?


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