偏差値に関係なく「賢い人はなぜ賢い?」

たとえば「この人、マーチクラスの大学を出ているわけではないのに、なんか賢いな」と思うことってありますよね。

「マーチクラスの……」と思った瞬間に、「いや、学歴と社会における賢さって別物だし」と、一瞬思い直してみたり、「でもやっぱり、学歴って大事だしな」と思ってみたり。

なにかと「賢い」の定義をめぐって、わたしたちを取り巻く学歴社会は、一定の答えを見せてくれません。

今回は、社会における「賢い」の定義と、賢い人はなぜ賢いのか(賢い人の舞台裏というか脳内)について、一緒に見ていきたいと思います。

賢いとはどういう状態のことをさすのか?

たとえば哲学って、かれこれ2000年以上も「真に賢いとはどういうことをいうのか」というテーマを追いかけています。

もちろん「賢い」だけではなく「知性とは?」とか「真に生きるとは?」とか、そういう壮大なテーマも扱っているわけですが、平たくいえば「賢いってどういうこと?」というテーマも、いまだずっと開店中なのが哲学。

答えの1つのキーワードは理性なんだそうです。理性がよく働いている人=賢い人、という方程式。

デカルトさんとか、アルノーさんとか、パスカルさん(台風のヘクトパスカルのパスカルさん。気圧の単位になっていますね)とか、もっともっと昔だとソクラテスさんたちが、ざっくり言えば「賢いとは理性がよく働いている状態のことである」と言いました。

もちろんフィールドは哲学だから、まずは理性という言葉の定義から始めましょうとか、いろいろややこしいのですが、ざっくり言えば「賢い=理性的」。

これは今の世の中を見渡しても、さもありなんと思えるかもしれません。あなたのまわりにいる賢い人で、とりたてて偏差値の高い大卒ではない人で賢い人って、そう簡単に感情的にならないですよね?

偏差値に関係なく「賢い人はなぜ賢い?」

仕事がはやい&ミスがない&書類を作らせたらめちゃ聡明な文章を書くという人であっても、他人の気持ちを推し量れない人のことを、わたしたちは通常「賢い」とは言わないですよね。

「あの人、仕事はできるけど、人の気持ちがわからんヤツやわぁ。あれではあかんわ」となりますよね。つまり理性がよく働いている人というのは、机の前で文字とにらめっこする時も、人と会って喋っている時も、等しく理性が働いている、ということが言えます。

どうすれば「賢い人」になれるのか?

賢い人は、たとえば怒らない。あるいは、相手が欲しがっているものを察知して、すぐに行動に移すことができる。書類を作らせたら、相手が欲しがっている情報を的確に並べることができる……こういう人格って、どうすれば手に入るのでしょうか?

その答えも、哲学という学問が教えてくれています。

たとえば「と思う」ということをやるといいそうです。イラっとしたときに「わたしは今、イラっとしてる『と思う』」。こいつ終わってると思ったときに「わたしは今、こいつ終わってると思っている『と思う』」。

つまり自分の考えを客観的に見ることができる人=理性的な人=賢い人、という寸法です。

「と思う」ことって、誰でも今すぐできますよね。わたしは今、この文章を読んでいて、つまらないことを長々と書くアホもいるんだなあと思っている「と思う」……たとえばこう思えばいいわけです。

偏差値に関係なく「賢い人はなぜ賢い?」

賢い人=人間好きな人?

つまり、アホな文章を「アホやな、こいつ」と思って、×をクリックして読むのを止めるのではなく、とりあえず最後まで読んで「吟味すること(=なぜこの文章はアホっぽいのかを考えること)」ができるのが、理性的な人=賢い人。

この「吟味する」というのは、「ありのままを受け止めてよいかどうかを、念入りに調べること」です。そう国語辞典に定義されています。

ありのままを受け止めようと思えば、一時的であるにせよ先入観を捨ててものを見る必要が出てきます。先入観を捨てていろんな事物や人に触れるというのは、人間嫌いな人がもっとも苦手としているところです。

ということは、賢い人とは、すなわち人間好きな人、あるいは人間を好きになりたいと思っている人のことだと言えるのかもしれません。

偏差値に関係なく「賢い人はなぜ賢い?」

最後まで、アホっぽい文章を読んでくださり、ありがとうございましたぁ! と、アホっぽく締めてみました。

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