【連載】嫁へ行くつもりじゃなかった――私の新婚日記 第5回 男と女と黒い虫

夫のオットー氏(仮名)の勢いが止まらない。大人気である。何を書いても夫ばかりが株を上げ、評価を高め、イケメンだ男前だと褒めそやされ、一方で筆者の私は「自慢話乙」「何様」「こんな立派な夫に見合うほどの妻か?」と叩かれる始末。割が合わない。本人も調子に乗っている。「次は何書くの?」と首を突っ込んでは「まぁ、もっとストレートに俺への愛を綴ればいいよ!」とドヤ顔をかます。正直イラッとする。

いっそのこと誰もが幻滅する話を書いてバランスをとってやろうかとも思ったが、「やっぱりあの女が結婚できるのはその程度の男だ」と納得されるか、「ひどい書かれようでオットー氏かわいそう! 鬼嫁!」と非難され、どう転んでも私の評判が地に落ちるのがオチだ。割が合わない。それでも一つだけ主張させていただきたい。こと外敵排除に関しては、どう考えても私のほうがよっぽど「男前」であると。

○秋の夜長を泣き通す

雨が降り続く九月の蒸し暑い夜だった。夕食を済ませて二人で帰宅すると、玄関先に、ヤツがいた。Gから始まる黒いアレである。足元を這うヤツの存在に気づいたのは、ちょうど鍵を開けた瞬間だった。ギャッと身を引いた私は次の瞬間、さらに信じられない光景を目にする。ノブを掴んだまま全身を強張らせたオットー氏が、なぜか、パッと玄関扉をひらいたのだ。

「おま、何さらしとんねん!!」思わず似非関西弁で叫んでしまった。当然ヤツは、スススと三和土(たたき)へすべりこむ。このまま奥まで侵入を許しては地獄絵図、まばたきも忘れて立ちすくむ夫を「何してんの! 早く出して! ドアの外へ!」と怒鳴りつける。と、オットー氏、なんと引いたノブを押し出し、扉を閉めようとしたのだ。ヤツだけを部屋に上げ、自分たちは廊下へ閉め出される格好。意味がわからないよ!?

「アホか、入れてどうする、廊下へ、外へ出せ! その傘で!」扉を掴んでこじ開け、指示を飛ばす。感情の消えた蒼白い顔で、たたんだ傘の先端を力無くしゅんしゅん振るオットー氏。私はできる限りドスドスと音を立てて敵を牽制しながら靴を脱ぎ、洗面台の下にある嫁入り道具のジェット殺虫剤を取りに走った。ゆっくりと様子を窺うヤツが攻めに転じるその前に、玄関扉と傘立ての隙間へ追い込んで二、三回の噴霧で仕留め、ティッシュでくるんで、上からギュッ。

オットー氏が表情を取り戻したのは、すべて終わった後……ピクリとも動かなくなったヤツをティッシュごとビニール袋で厳重に包み、ゴミ置場へ捨てて戻ってきた、その後である。まだ握りしめた傘の先をしゅんしゅんふらつかせていた我が配偶者は、やっと息を吹き返して、こう言った。

「ふわー。俺、今までで一番、強くてかっこよくて頼もしいお嫁さんもらってよかった、と思ったー。こ、こわかったよぅ~」

おま、女子か!!!!

○聖女はみんな傷を負った戦士

……いや、失礼。「男のくせに」「女の腐った」などと差別発言をするつもりはない。私だって首から上、頭では、両性はつねに平等であるべきだと考えている。社会から植えつけられた差別意識、他者から押しつけられた役割期待を振り払い、拭い去り、にっくき害虫よろしく心の玄関口から閉め出して、抗いながら生きてきたつもりだ。

とはいえ、咄嗟の局面で首から下、腹の底から「女子か!!」と罵倒が飛び出すほどには、私もまだまだ、何かの潜在意識に縛られてもいる。「だって、女の子だもん」というあの免罪符を振りかざし、あわよくば、外敵の撃退駆除などという甚大なマッチョさを求められる仕事については、男たちに任せきりにしてしまいたいのだ。

独身時代、ヘトヘトで帰宅した深夜にヤツと鉢合わせ、疲労困憊のなか不眠不休で死闘を終えた後、ふと空しくなって涙に暮れることが幾度もあった。どんな輝かしい勝利をもぎ取ろうとも、虫一匹シャットアウトできぬほど隙だらけの荒んだ生活を送る我が身の至らなさ、不甲斐なさ、そして知らず知らず身についた手際のよさを思えば、自己嫌悪に苛まれるばかりだった。

もしも。もしも誰か運命の殿方と巡り会って結婚したら。私はもう、こんなこと、独りでがんばらなくても、よくなるのかな。「キャッ」と叫んでたくましい背中に隠れたら、どんなドラゴンも巨大怪獣も、私のために倒してもらえる、そんな王子様はどこにいるのかな。ああ、できるのなら小さな子供の昔に帰って熱い胸に甘えたい……。

いかなる有事にも躊躇なく素手で掴めるよう、缶に描かれたヤツの絵柄を上からガムテープでベタベタに塞いでカスタマイズした愛用のジェット殺虫剤(絵にだって指一本触れたくないんです)を力無く取り落とし、夜明け前、あちこちの結婚相談所の口コミをぐぐって調べたことも、一度や二度ではない。

「結婚すると、幸福は二倍に、つらいことは半分になるんだよ」と聞いて育った。一人ではできないこと、苦しい局面だって、愛する誰かと一緒なら難なく切り抜けられるのだと。一人でサヴァイヴする能力ばかりビシバシ鍛え上げてしまった私のような女でも、いや、だからこそ、ふとそんな言葉を思い出し、夢見てしまうものなのだ。

しかしながら。いざ実際に結婚してみると、たしかに幸福は二倍になったかもしれないが、襲いかかる黒い悪魔との戦いにおいて求められる私のマチスモも、もれなく二倍になっていた。気がつけば、背後で「キャッ」とやる愛する夫を守るため、今まで以上にさらなる勇気を振り絞って雄々しく戦っている。おいおい、私を守るヒーローはどこだよ。王子様と結ばれたはずが、超弩級の姫キャラしか横におらんぞ。

○女には向かない職業?

とまぁ、思わず愚痴りたくもなるわけだが、もちろん、どんな家事にせよ「男の仕事」「女の仕事」などと切り分けるのはナンセンス。理想は「気がついたほうが率先してやる」、現実は「より得意なほうが仕方なくやる」、くらいが落としどころではなかろうか。

あの晩、もし私が世に言う「女らしい」振る舞いを何より優先させ、「キャッ! ヤダヤダ! ダーリン助けて~!」と背中にしがみついたところで、夫に任せては、寝室から居間から食品棚まで大量の殺虫剤を無駄に撃ちまくり、朝方までヤツを追い回した挙句に取り逃がし、二人して連日の眠れぬ夜を過ごすのが目に見えている。

人にやらせて結果に耐えられなくなるのなら、それはきっと、最初から自分でやるしかない仕事なのだ。「このオスカル、祖国(家)のためなら『女らしさ』など捨ててくれるわ……!!」という気分にもなる。

ちなみに後日、玄関扉を開けたり閉めたりという謎の奇行について問いただしたところ、「何も見なかったことにして存在からなかったことにできないかなーと思って……」と供述したオットー氏。もはや「雄々しい」「女々しい」といったジェンダーロールの問題ですらない。イケメンが聞いて呆れるわ。

たとえば事務処理能力は圧倒的に彼のほうが高いので、領収書の精算などは私の分までやってくれる。意外と力持ちなので重い荷物を運んでもらう機会も多い。とはいえあまり重いものを持たせると腰痛を再発させそうなので、なるべく私も一緒に持つ。ありあわせを目分量で豪快に盛りつけるサラダは私が、レシピに厳密さが求められるドレッシング作りはオットー氏が得意だ。いや、サラダを手料理に含めるかは意見が分かれるでしょうけど。

まだアンバランスではあるものの、幸福は二倍に、洗濯の頻度も二倍に、力仕事の負担は半分になり、家事全体の効率はよくなった。そして、私に著しく欠如していた「女子力」については、オットー氏が補ってくれて夫婦でトントンになったかな、と思う今日この頃である。

<著者プロフィール>
岡田育
1980年東京生まれ。編集者、文筆家。主な生息地はTwitter。2012年まで老舗出版社に勤務、婦人雑誌や文芸書の編集に携わる。同人サークル「久谷女子」メンバーでもあり、紙媒体とインターネットをこよなく愛する文化系WEB女子。「cakes」にて『ハジの多い人生』連載中。CX系『とくダネ!』コメンテーターとして出演中。2013年春に結婚。

イラスト: 安海

(岡田育)

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