【連載】嫁へ行くつもりじゃなかった――私の新婚日記 第8回 聖家族はかげろうのように

○赤い奴ほどよく眠る

2歳下の妹が、第二子を出産した。今度は姪っ子だ。長男のときは生後すぐNICUに搬送されたりといろいろ大変だったのだが、今回は産んだ翌日に母子同室で面会できた。すっかり健康優良児になった3歳の甥っ子に「あ、おにいちゃんだ!」と呼びかけると、照れて身をよじった。

私は「おねえちゃん」と呼ばれる前のことを思い出せない。人生最初の記憶はベビーベッドで眠る妹を覗き込む光景だ。末弟ができたときにはその妹も8歳で、欲しがっていた子犬だか子猫だかの代わりに人間のチビが家族の一員に加わることを無邪気に喜んでいた。当時10歳の私はといえば性教育を受けたばかりで、学校の先生に母親の妊娠を報告するのがなんだか気恥ずかしかった。

夫のオットー氏(仮名)は、物心ついてから新生児と直に接する機会がほとんどなかったそうだ。乾いた胎脂であちこちカピカピの目も開かない真っ赤な姪っ子をつついては、ドッジボールのように気軽にポンポン回して代わる代わる抱っこするうちの家族に呆然としていた。おくるみごとパスしてみると、ブリキの木こりよろしく抱えたまま動かなくなった。

弟を初めて抱いた10歳の私も、こんな感じだったろう。赤ん坊はあまりにも脆そうで、自分のような未熟者が、つまり自分自身で産んでもいない他者が扱えるものではなく、触れたら簡単に壊してしまうのではないか、と怖れていた。退院と同時に問答無用で親の手伝いをさせられるうち、数週間ですっかり慣れてぞんざいにおむつを替えたり風呂に入れたりするようになるのだが。

○お前は今までに排卵した数をおぼえているのか?

長い間、「いつか自分が結婚するとしたら、それは子供が欲しくなったときだろう」と思っていた。より正確には「いつか子供が欲しくなったら産みたいし、遺伝上の父親と結婚して一緒に育てられたら、尚良い」くらいの考えだ。こうした出産願望が最高潮に達していたのは20代後半。働きながら好きなときに子供を持てる程度の生活安定性と自立が目標だった。人生がどう転ぶかはわからないけれど、もし万が一、産むほうに転ぶことがあれば、たとえ生涯ソロ活動であろうと自分から弾みをつけてそちらへ転がっていきたいと思っていた。

今を逃すともう産めなくなるかもしれない、と精子バンクや卵子凍結保存についても熱心に調べていた。20代後半、彼氏ナシ。おそらく「適齢期」だったのだろう。結婚のではなく、出産の適齢期である。あの根拠なき情熱はほとんど野生の本能だ、体内から何か信号が発せられていたに違いない。そしてそれはきっと、最後通告の信号だった。30を過ぎると憑き物が落ちたように内なる出産欲求が低下して、今は「どっちだっていいや、子供が欲しいだけなら養子とるのもアリだな」という気分である。

結婚しました、と報告すると、「そうかそうか、次は少子化問題に貢献してもらわんとな! ガハハハ!」と笑うオッサンたちがいる。ああ、と私は想像する。彼らはきっと、考え無しの結婚をして避妊無しのセックスをして、妻の産んだ子を自分が成し遂げた「社会貢献」だと認識しているのだな。たとえ家庭内での育児に微塵も貢献していなかったとしても。そうして他人の子もすべて、己が長命と年金の安泰とを底支えするべく、数で勘定するモノだと思っている。だから言うのだ、この国のために、子を殖やせと。世界各国の制度を調べ、野生の本能が発する最後通告さえ華麗にスルーした私の心には、彼らの言葉は、もはやまったく響かない。

現在の私が「やっぱり産もうかな……」と心揺さぶられる瞬間は唯一、高齢出産した先輩諸姉の言葉に耳を傾けるときだけだ。「自分が遅く産んだから言うけど、産むなら早くに産んどいたほうがいいよ」と皆が口を揃える。曰く「育てる側の体力が持たないから」。母が末弟を産んだのは38歳のとき。この年齢での初産は今や珍しくないが、あの年齢から初めての育児となると、たしかに若い親と同じにはいかない。遊び疲れて寝こけた幼児を抱き上げるとどれだけ重たく感じるものか。オッサンどもは知らなくても、私は知っている。

○宇宙の法則が乱れる!

もう若いとはいえない年齢であるし、ぼんやりしていて自然にうっかり子供を授かることは、おそらくない気がしている。20代後半に得た耳学問の成果だ。といって、閉経までに残された時間のすべてを夫婦で基礎体温と排卵日に一喜一憂しながら不妊治療に費やすだけの覚悟はあるか、と問われると返答に窮する。二人とも、なんとしてでも後世に遺伝子を残したくて結婚したというのではない。

だが、子供を作らないと決めているわけでもない。ただ今はもう少しだけ、二人でぼんやりしていたいのだ。まさか結婚するとは思っていなかったし、他の多くの新婚さんが結婚前に済ませてきたこと、幼子のいる家庭ではなかなかしづらくなるはずのことを、二人であれこれやってみたい。その間に別のチャンスをまるごと失ってしまったとしても、あるいは命より大事な何かをうっかり授かったとしても、どちらでも構わない。

10歳の頃を思い出す。ある日突然「赤ちゃんが生まれるのよ」と言われて、そんな一過性でない大変化が我が身に起こるのが、なんとも不思議で信じられなかった。両親と妹との四人家族で思い描いていた未来図は、すべて五人家族でイメージしなおさねばならない。成人した私の横には見知らぬ小学生の弟が、老婆になった私の横には見知らぬ老爺の弟がいる。今まで想像もしなかったその男が、あとほんの数ヵ月で母親の胎から生まれてくるという。

未来はなんと簡単に塗り替えられてしまうものなのだろう、私は私の人生設計に対してなんと無力なのだろう。幼心に思い知った。一人の絵筆で自由に描くのだとばかり思っていた白いキャンバスに、あちこちからいろんな絵筆が横入りして伸びてきて、自分より先に好き勝手な色を盛っていく感じだ。

私は知っている。子供は瞬時にすべてを変える。錆びたブリキの木こりみたいだった誰も彼も、慣れれば上手に抱いてあやすようになる。赤ん坊は脆くともそう簡単には壊れない、どころか、机上で思い描くどんな未来図よりもずっと強烈な力を持っている。その力は存在によって発揮されることもあれば、不在によって発揮されることもある。無駄な抵抗だ。塗られた色を楽しむしかない。

○「まだ考えてません」の向こう側

漫画『ファイブスター物語』で、生殖能力を持たない人造生命体であるヒロインが、人間の妊婦に「あなたに子供が産めて?」と勝ち組めいた皮肉を言われ、「時が来れば産みます」と凄んでみせるシーンがある。そして実際に彼女は、時空を超えた未来、人智を越えた現象としてその身に子を宿す。

私はこの台詞がとても好きだ。「お子さんはいつ?」と訊かれたとき、いつもあの表情をしていると思う。時が来れば産みます。まるで自分がコントロールできる物事かのように平然と。だけどそれが制御不能な物事であることを、まだ産んでいない私や、一生孕むことのないオットー氏でさえ、よく知っている。質問するあなたがただって我々以上に知っているはずなのに、なぜこんな質問をするのだろう?

今の御時世、子供でもいなければ法律婚するメリットはない、と言われる。子育てを一つの区切りとして離婚する人々も増えている。それゆえか、近年「結婚=男と女が子供を作るための営み」といった認識ばかりがやたらと広がっているように思う。現実の社会は単に多様化しているだけで、その限りではない家族だってどんどん増えているはずなのに。

子供のためだけに結婚するわけじゃない。血を分けた関係だけが親子じゃない。親子だけが家族構成の単位じゃない。それでもなぜかまだ婚外子が差別され、同性婚も認められず、「え、いま新婚で、もう30代なのに、作らないの? もったいない!」と、産んでもいない子の数を勘定される。奇妙なことだ。もし時が来なければ、産まずに生きます。ただそれだけのことではないか。

<著者プロフィール>
岡田育
1980年東京生まれ。編集者、文筆家。主な生息地はTwitter。2012年まで老舗出版社に勤務、婦人雑誌や文芸書の編集に携わる。同人サークル「久谷女子」メンバーでもあり、紙媒体とインターネットをこよなく愛する文化系WEB女子。「cakes」にて『ハジの多い人生』連載中。CX系『とくダネ!』コメンテーターとして出演中。2013年春に結婚。

イラスト: 安海

(岡田育)

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